順風逆風

日々吹いている風を受けて。今を大切に思いのままに綴っていきます。

秋の公孫樹

こんにちは。だいぶ寒くなってきました。北海道では何年ぶりかの大雪と報道されて

います。でも北海道の方にとっては雪はあたりまえに降るので、ちょっと早く降った

くらいでは、驚かないそうです。(北海道の人が語ってました。)

今年の立冬は11月7日です。冬はもうそこまでやって来ています。けれども街中は

まだまだ木々の緑が残っていますよね。特にイチョウは黄色の葉になっている木と

いつまでも青々としている木ととても差があります。

秋が深まると黄金色に輝くイチョウについてちょっと見てみましょう。

原産地は中国・日本へ伝来

日本のイチョウは中国から伝来したとされています。日本原種説もありますが。

生きた化石と呼ばれ古代から現代まで生き続けているといわれる貴重な生物ですが

すが中国で初めて文献に出てくるのは宋の時代。西暦900年~1100年あたり。

当時書かれた書物「綱目」という本にイチョウの記述を見ることができます。

中国ではイチョウの葉が鴨の足、水かきの形に似ているので鴨脚と呼ばれ、実が食用

になるので栽培が広がりました。鴨脚を中国語で発音すると「イアチャオ」となるこ

とから、これが転じてイチョウとなったようです。 原産地は今の中国安徽省宣城県

が有力です。日本にいつごろ入ってきたか諸説あり定まっていないようです。長崎県

対馬の長松寺の巨樹イチヨウは樹齢1500年以上と言われ、仏教伝来の時、百済

僧侶がイチョウを伝えたされています。しかし厳密なところで確実な記録は、室町時

代の後期(1400年代後半)の「新撰類聚往来」にあります。以後、江戸時代には

火に強い性質があるため火除け地にイチョウが多く植えられていきます。公が種を撒

き、孫の代にならないと実を食べることができないという意味が公孫樹にはあります。

次の世代を思い公孫樹が育て継がれてきた時の流れを感ぜずにはいられません。

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見応えのある公孫樹

全国各地にある公孫樹の並木路や巨木は春の青々とした新葉の勢いと秋深まる時節に

時節には黄金色に衣を変え、時に私たちを癒してくれます。2007年に国土交通省

が集計した街路樹で一番多いのがなんとイチョウで57万本、次にサクラ、ケヤキ

キと続きます。全国のイチョウの名所を見てみましょう。

東京ではやはり新宿区にある明治神宮外苑の並木が見応え十分です。大正12年に

イチョウの木が植えられ、今156本が道の両側に綺麗に並び、黄色に染まった葉

のじゅうたんが出来上がります。同じく東京は立川市にある昭和記念公園のイチョウ

並木。ここはイチョウだけではなく、他の木々も秋には色とりどりに葉が染まり、紅

葉を楽しむことができる公園です。他にも東京にはイチョウの街路樹や神社の境内に

大きなイチョウがある場所がたくさんあります。文京区にある東京大学のイメージ

マークはイチョウの葉をモチーフにしているほどで、イチョウが親しまれていること

がわかります。

一方地方では北海道の北大札幌キャンパス・北大苫小牧植物研究所のイチョウが見応

えがあり、北の大地に大きな根を生やしています。一本イチョウで全国的に有名なの

青森県深浦町にある北金ケ谷のイチョウです。樹齢1000年以上高さ31m、周

囲22mと日本一と称されています。このイチョウは単に大きさだけではなく、上か

ら下に流れる枝ぶりの美しさも見事で、日本一とされる由縁であります。

京都は、浄土真宗総本山西本願寺の御影堂の前に育つ「水吹きイチョウ」が見事に色

づきます。天明の大火(1788年)ではお堂に火が燃え移りそうになった時、この

イチョウが水を吹いてお堂を守ったとの伝説があり、ゆえに水吹きのイチョウと呼ば

れているのです。

九州では、熊本城が別名「銀杏城」と呼ばれています。銀杏城というのは、加藤清正

が熊本城築城の際に城内にイチョウの木を多数植えたことが由来となっています。

イチョウの木を植えたのは、籠城戦になった際の食料確保のためというのも1つの理

由だったようです。本丸前にある大イチョウは西南戦争時燃えてしまったのですが、

また芽を吹き、今また大イチョウに育っています。

 

黄金色に染まるイチョウは、春のサクラに匹敵する美しさがあります。サクラの花び

らが春風に吹かれてさっーと飛ばされていくのに比べ、夕暮れどき、穏やかな陽に照

らされ、きらきらと輝きながら静かに落ちていくイチョウの葉の美しさに感動します。

幾重にも敷き詰めらた街路のイチョウの絨毯を踏みしめながら深まりゆく秋を感じる

今日この頃であります。

 

 

 

食欲の秋in湘南

こんにちは。食欲の秋。美味しいものが美味しくいただける季節ですね。

今や一億総グルメと言える時代ではないでしょうか。何しろ美味しいものに関する

情報が溢れています。そしてその情報をもとにその店へ行って何時間も並んで待っ

て食べる。待つ時間が長ければ長いほど、初めて味わった人気の味はまさに格別で

しょう。

しかし情報に頼らず、偶然か必然か入ったお店がすごくよかったなんてことありま

せんか。相模國をドライブして湘南まで来てしまいました。藤沢で出会った抜群の

ランチをご紹介しましょう。

和食「釜飯」

藤沢駅小田急百貨店をとおり過ぎて、やや細い通りにひしめきあっているレストラ

ンやラーメン、焼肉店などなど選ぶのに迷ってしまいました。それでも午後2時を

過ぎていたのでお店はどこも行列はありませんでした。細い通りの角に白いのれん

の煮干しらーめんの店も湘南らしく、ヘルシーにいいかなと思いましたが、お昼の

時間を遠くとおりすぎたお腹は空腹の極致でありまして、もう少しボリューミーに

いきたいところでらーめんはパスしました。細い通りからさらに細い通りに入って

いくと、遠くには焼肉の文字とネオンが光っており、ここか!とひらめきを感じ足

を向けていきました。途中黒板に店名が刻まれたお店の前に飾ってあるメニューが

ふと目にとまり、「釜飯ランチコース」と1500円の文字が足を止めさせました。

「釜めし歳時記さき亭」

お店の中は、ほぼ満席でしたが、お昼もだいぶ過ぎていたのですぐに席に案内して

くれました。ランチコースのメニューに載っている写真は品数が多いが、中身がど

れほどかはわからずちょっと気がかりでしたが、貝づくしのランチコースを注文。

まず小鉢3種盛りにはしっかりとダシをとった野菜の煮物がならんででてきます。

次に串焼2本は、ネギ間と田楽みそだれ付で焼き鳥がやわらかくとてもジューシー。

さらに刺身はカルパッチョ風に、アジ、イワシ、マグロ、ハマチ、タイと5種も。

お椀が続きイワシのつくねと秋那須のあんかけ煮はつくねのふわっとした柔らかさ

がいい感じ。

ここでランチ1食分ぐらいを食してしまいますが、釜飯が炊き上がる時間がちょう

ど経ち、メインの釜飯(貝づくし)をいただきます。幾種類の貝のだしがごはんに

しみ込んで、釜飯の本物の味を堪能できました。

お味噌汁は心遣いの赤だしでほっとさせられます。最後に釜にこびりついたおこげ

も食べつくし、その香ばしさがとてもグッドでした。

口直しは、デザートの杏仁豆腐と美味しい熱いお茶をいただきました。

もう信じられないほどのボリュームと味の美味しさは最高の釜飯ランチコースで

す。店内に筆で書かれた夜のメニューも一度食べてみたいと思わせる品々でした。

 

スマホで探さなかったからなのか、とても素敵なお店「さき亭」に偶然出会うこと

ができました。店構えは豪華でもシックでもありませんが、料理は料理人の心意気

を十分感じるものでした。こんな素晴らしいお店に出会えるとは久々の満足感をい

ただけた食欲の秋の一日でした。

近くにお立ちよりの機会がありましたら寄ってみてくださいませ。

 

 

 

 

相模國一之宮の秋

こんにちは。今日は天気もよく、久しぶり秋晴れでした。行楽日和でしたので相模路

をちょっとドライブに行ってきました。

 平塚の新しいららぽーとに行く予定でしたが、混雑していると思い、静かな寒川神社

へ向かいました。

寒川神社御由緒

寒川神社は神奈川県の緑豊かな平野に社をおいています。御由緒によれば、相模國を

始め、関八州総鎮護の神として古くから朝野の信仰が篤く、約1600年前の雄略天

皇のお御代に奉幣のことが記載されているというとても歴史のある神社なのです。

醍醐天皇平安時代)の御代に制定された延喜式では相模國唯一の名神大社と定めら

た格式の高い神社です。

ご祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこ

と)の二柱の神を祀ってっており、二神を寒川大明神と称しています。

境内

参道の入り口には大きな三の鳥居が騒音の世間を遮断するかのように大きくそびえ

たっています。境内の1㎞はなれたJR相模線近くにある一之鳥居から始まり、参道

途中には二之鳥居(大鳥居)、境内入口には最後の鳥居となる三之鳥居があります。

真新しい参道の石畳みは木々のこもれびがときおり差し込み光輝いています。

それほど長くはない参道を抜けると、左手にお手水があり、手と口を清めます。

正面には立派な神門が配置されています。門をくぐると本殿、拝殿の庇の外側に施さ

れた銅板が日の光で輝きを放ち、美しい神殿が鎮座しています。

境内の凛とした空気に包まれ、とても清々しい気持ちになれました。

11月の七五三のお祝いでお参りする家族が大勢来ていました。

厄除け神社

寒川神社は厄除けで有名な神社です。

厄除けとは。

元々厄除けは中国から亘ってきたようです。

災い・災難が降りかからないようにと神様にお願いすることが厄除け祈祷です。

ある一定の年齢になると成長の過程で体が変化がするときに起こる難や働きざかりで

体を酷使するがゆえに振るかかる病気など、高齢になり体が思うように動かなくなる

ときに訪れる災いと昔からの経験から年齢を定めて厄を払い退ける厄年なる習わしが

生まれました。日本では平安時代に貴族社会に始まったとされています。

江戸時代にはある年齢を厄、大厄と定めていることが「和漢三才図会」に記されてい

ます。

方位除けとはどんなことなのでしょう。

方位除けは分類すると2通りあります。一つは「年回り」による方位除け本命星が、

その年にどの方向に位置しているかで吉凶を占い、災いを防ぐための方位除けです。

もう一つが転居や旅行など行く先の方角、方位による災いを防ぐ方位除けです。

ある年は本命星の位置と方位除け・本命星が中宮に回座する年は八方をすべて塞がれ

どの方角に事を起こしてもうまくいない八方塞がりの年回りなので方位除けをすると

良いとされています。八方除とは、事をなすにあたりあらゆる方角での災難を除く祈

願をいいます。

寒川神社は八方除、方位除の守護神として地相、家相、方位、日柄、交通、厄年など

に由来するすべての禍事・災難を取り除き、開運をもたらす霊験あらたかな神様とし

て信仰され続けているで す。

 

秋の満月

こんにちは。秋の夜空は満月がとても綺麗です。澄み切った星のちりばむ墨空に

青白いほどに光り輝く月。微かにたなびく筋雲が月を遮り、また暫くすると、

隠れる前にも増して輝きを放ちながら雲の切れ間から姿をみせる満月。

日本人はいにしえより、月を大切なものとして永く、永く愛で、心の安らぎを

得てきたのです。

仲秋の名月

月の満ち欠けの周期をもとに作られた太陰暦(旧暦)に代わり、太陽暦新暦

採用されたのは明治5年のことでした。

旧暦の7月、8月、9月は新暦の8月、9月、10月となり、月を仰ぐ季節と

してきました。8月の仲秋の月をご存知の方も多いでしょうが、7月はなん

いうか知ってますか。7月は初秋の月、9月は季秋の月と呼んでいました。

旧暦8月15日ごろの満月を仲秋の名月としたのは江戸時代に広まり、十五夜

お月さまとも呼ばれています。翌月には十三夜の月がとても綺麗だとされ、

十五夜と十三夜のどちらかを見すごすことはよくないとされ、両方みることが

大事だそうです。ちなみに十五夜の月を別名、芋名月と十三夜を栗名月と呼ば

れてます。その時期に獲れる自然の恵みに感謝しつつ月を仰ぎみたのでしょう。

観月の所へ

平安の時代から月を愛でることを趣とした貴族が住んでいた京都はまさに、名

月を見る場所に相応しく名所、神社、お寺など観月に最適です。その中でも

お薦めの場所をちょっと見てみましょう。

京都でも有名な「神泉苑(しんせんえん)」です。神泉苑は二条城の近くにあ

り、雨を司る龍神が住んでいるとわれ、祇園祭発祥の地としても知られており

京都人の大切な神社の一つです。龍神が住んでいる池に舟を浮かべそこから月

を見ることができるのです。池に映る月がなんとも風流なそして雅な世界を作

りあげています。

次に川の橋の上から月を眺めるという、また趣が異なる素敵な場所があります。

京都伏見にある「観月橋」です。1596年に架けられたこの橋は、当時は

木津川、宇治川桂川の三つの川が合流して淀川となって流れていたところで

橋から眺める月があまりに美しかったので月見橋と最初は名付けられたのでし

た。その後時代を経て、観月橋と呼ばれるようになったそうです。観月に夜、

外へ出て橋に凭れて月を眺める。夜気を感じながら一興です。

 

秋の夜長、煌々と夜空を照らす月を眺め、思いに耽る日があってもいいですね。

かつて古の人々と同じ月を愛でる。悠久の時間の流れを感じるのは今も昔も

変わりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書の秋 読まれている本

こんにちは。今日は久しぶりに雨降りでした。もう寒いって感じで長袖はもちろん

上着でちょうどよい感じでした。

読書のいい季節になりました。読書の秋についてちょっと探って書いてみましたが

たくさん読まれているのはどの本あたりか見てみたいと思います。

日本で一番読まれている本

この数字を正確にだせているところはないと思われます。由緒とか初めて使ったのは

だれかなどをネット検索で調べると大体同じ回答に行きついていきます。

ところが一番読まれている本はどれかというとまちまちです。販売した数なのか、印

刷した数なのかなど基準もいろいろありますのでなかなか比べること難しい点があり

ます。

という状況ですが、敢えて日本でこれまでに最多数読まれている本といえば、どうや

ら「星の王子さま」(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)が600万部でトッ

プのようです。さらにほぼ同じくらいの数として「窓際のトットちゃん」(黒柳徹子

が580万部、「ハリーポーッター賢者の石」506万部が続きます。

それにしても500万部を超えるとはすごい数です。

世界に目を向けるとさすがに桁が違って、「二都物語」(チャールズ・ディケンズ

はなんと2億部、二位はJ・R・R・ トールキンが書いた「指輪物語」です。これは

1億5千万部と書かれたのは第二次世界大戦中で、戦後になって広く読まれること

となりました。

 

もちろんまだまだたくさん読まれているありますが、それはまた後でみてみたいと

思います。素晴らしい本は時代を超えて読み継がれていきます。

 

 

 

初めまして。

初めまして。ブログを始めました。全国に世界に何百万人のブロガーの仲間入りしました。よろしくお願いします。

ブログって、WEBLOGの略だそうです。

WEBにLOGする。

World Wide Webに記録(LOG)する。

ということがブログの意味です。

まだ、何を書きたいがまとまらないブロガーですが、とにかく続けていきたいと思って

います。

もし気にある記事があったら、読んでみてください。

よろしくお願いします。

 

 

読書の秋

こんにちは。先日は東京で大停電がありました。今の時代では効率化を進めてきたた

め一つのラインが断ち切れた時、理屈ではわかっていても現実に大きな大きな影響が

でることを改めて感じさせる事故でした。

多少無駄でも、一つに集中させないことを意識する生活社会があってもいいのではな

いかと思います。

 

日に日に秋めいてくる時期ですが、スポーツの秋の次はやはり読書の秋についてちょ

っと見てみたいと思います。でもその前に、スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋、芸

術の秋、行楽の秋などありますが、これら並べてみて思うのは、読書だけ単一の行動

ということです。もちろん食欲も食べるということでは一つの行いですが、普段から

食べて生活しているので、敢えての行動ではないと思えます。しかし読書は、文章や

絵を自分の目の前に置きそれを読むという極めて能動的な行動です。

それだけ大切な行いであると考えてよいでしょう。

「読書の秋」のはじまり

1918年(大正時代)の9月に読売新聞は読書の秋を掲載しました。

曰はく「秋は過ごしやすい時期であり、夜は灯りを灯して読書がよろしい・・」と。

秋の夜長には、灯りを点けて、その灯りで本を読むのがオススメですと世に語り、読

書の秋のイメージが出来上がったようです。

時代は遡って、1908年明治末期、夏目漱石が名著「三四郎」に綴ってこのように

綴っています。

「そのうち与次郎の尻が落ち付いてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用し

 て嬉しがるようになった・・・・」

ここでの漢語というのが中国 唐の時代の詩人韓愈の作った詩を指しています。

『 新涼入郊墟

  燈火稍可親

  簡編可巻舒

 時秋にして積雨霽れ、新涼郊墟に入る。

灯火稍く親しむ可く、簡編巻舒す可し。

(ときあきにしてせきうはれ、しんりょうこうきょにいる。

とうかようやくしたしむべく、かんぺんけんじょすべし。)

秋になって長雨が終わり、さわやかな涼しさが郊外の丘に来ています。

灯火の下での静かな作業に適した季節、書物を読むのにいい時期です。』

 

夏目漱石の本が当時人気があったことは言うまでもありません。読書階級の人たちは

三四郎を読んで、意味を解釈し、読書の秋が理解されてきました。

しかしまだ明治時代では生活も豊ではなく国民全体にそのような余裕はなかったはず

です。

読書週間

昭和に入って少しずつ国民の生活が豊かになっていくと読書を広めていこうという意

識も高まります。日本図書館協会が1923年に翌年11月の第1週を読書週間とし

て定めて最初の秋の読書週間が始まりました。

昭和22年(1947年)には日本出版協会が中核として様々な団体が参加して読書

週間実行委員会が設立。読書の力を使って平和な文化国家を作る目的をもって、読書

の普及に努めてきました。

1959年からは日本読書推進運動協議会が発足し、毎年秋の読書週間を主催してお

ります。毎年10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ

ています。『読書週間』が始まる10月27日は、「文字・活字文化の日」に制定さ

れております。今月下旬にやってきます。ブログを書いている人たちには楽しみな気

になる日ですね。

 

ということで、読書の秋はいろいろと歴史がある中で出来上がってきたものです。

勉強や本を読むのに適した室温は18℃から20℃あたりとか。

暑すぎず寒すぎずのこの季節に本を手にとって新たな物語に出会えるといいですね。

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