順風逆風

日々吹いている風を受けて。今を大切に思いのままに綴っていきます。

相模國一之宮の秋

こんにちは。今日は天気もよく、久しぶり秋晴れでした。行楽日和でしたので相模路

をちょっとドライブに行ってきました。

 平塚の新しいららぽーとに行く予定でしたが、混雑していると思い、静かな寒川神社

へ向かいました。

寒川神社御由緒

寒川神社は神奈川県の緑豊かな平野に社をおいています。御由緒によれば、相模國を

始め、関八州総鎮護の神として古くから朝野の信仰が篤く、約1600年前の雄略天

皇のお御代に奉幣のことが記載されているというとても歴史のある神社なのです。

醍醐天皇平安時代)の御代に制定された延喜式では相模國唯一の名神大社と定めら

た格式の高い神社です。

ご祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこ

と)の二柱の神を祀ってっており、二神を寒川大明神と称しています。

境内

参道の入り口には大きな三の鳥居が騒音の世間を遮断するかのように大きくそびえ

たっています。境内の1㎞はなれたJR相模線近くにある一之鳥居から始まり、参道

途中には二之鳥居(大鳥居)、境内入口には最後の鳥居となる三之鳥居があります。

真新しい参道の石畳みは木々のこもれびがときおり差し込み光輝いています。

それほど長くはない参道を抜けると、左手にお手水があり、手と口を清めます。

正面には立派な神門が配置されています。門をくぐると本殿、拝殿の庇の外側に施さ

れた銅板が日の光で輝きを放ち、美しい神殿が鎮座しています。

境内の凛とした空気に包まれ、とても清々しい気持ちになれました。

11月の七五三のお祝いでお参りする家族が大勢来ていました。

厄除け神社

寒川神社は厄除けで有名な神社です。

厄除けとは。

元々厄除けは中国から亘ってきたようです。

災い・災難が降りかからないようにと神様にお願いすることが厄除け祈祷です。

ある一定の年齢になると成長の過程で体が変化がするときに起こる難や働きざかりで

体を酷使するがゆえに振るかかる病気など、高齢になり体が思うように動かなくなる

ときに訪れる災いと昔からの経験から年齢を定めて厄を払い退ける厄年なる習わしが

生まれました。日本では平安時代に貴族社会に始まったとされています。

江戸時代にはある年齢を厄、大厄と定めていることが「和漢三才図会」に記されてい

ます。

方位除けとはどんなことなのでしょう。

方位除けは分類すると2通りあります。一つは「年回り」による方位除け本命星が、

その年にどの方向に位置しているかで吉凶を占い、災いを防ぐための方位除けです。

もう一つが転居や旅行など行く先の方角、方位による災いを防ぐ方位除けです。

ある年は本命星の位置と方位除け・本命星が中宮に回座する年は八方をすべて塞がれ

どの方角に事を起こしてもうまくいない八方塞がりの年回りなので方位除けをすると

良いとされています。八方除とは、事をなすにあたりあらゆる方角での災難を除く祈

願をいいます。

寒川神社は八方除、方位除の守護神として地相、家相、方位、日柄、交通、厄年など

に由来するすべての禍事・災難を取り除き、開運をもたらす霊験あらたかな神様とし

て信仰され続けているで す。

 

秋の満月

こんにちは。秋の夜空は満月がとても綺麗です。澄み切った星のちりばむ墨空に

青白いほどに光り輝く月。微かにたなびく筋雲が月を遮り、また暫くすると、

隠れる前にも増して輝きを放ちながら雲の切れ間から姿をみせる満月。

日本人はいにしえより、月を大切なものとして永く、永く愛で、心の安らぎを

得てきたのです。

仲秋の名月

月の満ち欠けの周期をもとに作られた太陰暦(旧暦)に代わり、太陽暦新暦

採用されたのは明治5年のことでした。

旧暦の7月、8月、9月は新暦の8月、9月、10月となり、月を仰ぐ季節と

してきました。8月の仲秋の月をご存知の方も多いでしょうが、7月はなん

いうか知ってますか。7月は初秋の月、9月は季秋の月と呼んでいました。

旧暦8月15日ごろの満月を仲秋の名月としたのは江戸時代に広まり、十五夜

お月さまとも呼ばれています。翌月には十三夜の月がとても綺麗だとされ、

十五夜と十三夜のどちらかを見すごすことはよくないとされ、両方みることが

大事だそうです。ちなみに十五夜の月を別名、芋名月と十三夜を栗名月と呼ば

れてます。その時期に獲れる自然の恵みに感謝しつつ月を仰ぎみたのでしょう。

観月の所へ

平安の時代から月を愛でることを趣とした貴族が住んでいた京都はまさに、名

月を見る場所に相応しく名所、神社、お寺など観月に最適です。その中でも

お薦めの場所をちょっと見てみましょう。

京都でも有名な「神泉苑(しんせんえん)」です。神泉苑は二条城の近くにあ

り、雨を司る龍神が住んでいるとわれ、祇園祭発祥の地としても知られており

京都人の大切な神社の一つです。龍神が住んでいる池に舟を浮かべそこから月

を見ることができるのです。池に映る月がなんとも風流なそして雅な世界を作

りあげています。

次に川の橋の上から月を眺めるという、また趣が異なる素敵な場所があります。

京都伏見にある「観月橋」です。1596年に架けられたこの橋は、当時は

木津川、宇治川桂川の三つの川が合流して淀川となって流れていたところで

橋から眺める月があまりに美しかったので月見橋と最初は名付けられたのでし

た。その後時代を経て、観月橋と呼ばれるようになったそうです。観月に夜、

外へ出て橋に凭れて月を眺める。夜気を感じながら一興です。

 

秋の夜長、煌々と夜空を照らす月を眺め、思いに耽る日があってもいいですね。

かつて古の人々と同じ月を愛でる。悠久の時間の流れを感じるのは今も昔も

変わりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書の秋 読まれている本

こんにちは。今日は久しぶりに雨降りでした。もう寒いって感じで長袖はもちろん

上着でちょうどよい感じでした。

読書のいい季節になりました。読書の秋についてちょっと探って書いてみましたが

たくさん読まれているのはどの本あたりか見てみたいと思います。

日本で一番読まれている本

この数字を正確にだせているところはないと思われます。由緒とか初めて使ったのは

だれかなどをネット検索で調べると大体同じ回答に行きついていきます。

ところが一番読まれている本はどれかというとまちまちです。販売した数なのか、印

刷した数なのかなど基準もいろいろありますのでなかなか比べること難しい点があり

ます。

という状況ですが、敢えて日本でこれまでに最多数読まれている本といえば、どうや

ら「星の王子さま」(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)が600万部でトッ

プのようです。さらにほぼ同じくらいの数として「窓際のトットちゃん」(黒柳徹子

が580万部、「ハリーポーッター賢者の石」506万部が続きます。

それにしても500万部を超えるとはすごい数です。

世界に目を向けるとさすがに桁が違って、「二都物語」(チャールズ・ディケンズ

はなんと2億部、二位はJ・R・R・ トールキンが書いた「指輪物語」です。これは

1億5千万部と書かれたのは第二次世界大戦中で、戦後になって広く読まれること

となりました。

 

もちろんまだまだたくさん読まれているありますが、それはまた後でみてみたいと

思います。素晴らしい本は時代を超えて読み継がれていきます。

 

 

 

初めまして。

初めまして。ブログを始めました。全国に世界に何百万人のブロガーの仲間入りしました。よろしくお願いします。

ブログって、WEBLOGの略だそうです。

WEBにLOGする。

World Wide Webに記録(LOG)する。

ということがブログの意味です。

まだ、何を書きたいがまとまらないブロガーですが、とにかく続けていきたいと思って

います。

もし気にある記事があったら、読んでみてください。

よろしくお願いします。

 

 

読書の秋

こんにちは。先日は東京で大停電がありました。今の時代では効率化を進めてきたた

め一つのラインが断ち切れた時、理屈ではわかっていても現実に大きな大きな影響が

でることを改めて感じさせる事故でした。

多少無駄でも、一つに集中させないことを意識する生活社会があってもいいのではな

いかと思います。

 

日に日に秋めいてくる時期ですが、スポーツの秋の次はやはり読書の秋についてちょ

っと見てみたいと思います。でもその前に、スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋、芸

術の秋、行楽の秋などありますが、これら並べてみて思うのは、読書だけ単一の行動

ということです。もちろん食欲も食べるということでは一つの行いですが、普段から

食べて生活しているので、敢えての行動ではないと思えます。しかし読書は、文章や

絵を自分の目の前に置きそれを読むという極めて能動的な行動です。

それだけ大切な行いであると考えてよいでしょう。

「読書の秋」のはじまり

1918年(大正時代)の9月に読売新聞は読書の秋を掲載しました。

曰はく「秋は過ごしやすい時期であり、夜は灯りを灯して読書がよろしい・・」と。

秋の夜長には、灯りを点けて、その灯りで本を読むのがオススメですと世に語り、読

書の秋のイメージが出来上がったようです。

時代は遡って、1908年明治末期、夏目漱石が名著「三四郎」に綴ってこのように

綴っています。

「そのうち与次郎の尻が落ち付いてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用し

 て嬉しがるようになった・・・・」

ここでの漢語というのが中国 唐の時代の詩人韓愈の作った詩を指しています。

『 新涼入郊墟

  燈火稍可親

  簡編可巻舒

 時秋にして積雨霽れ、新涼郊墟に入る。

灯火稍く親しむ可く、簡編巻舒す可し。

(ときあきにしてせきうはれ、しんりょうこうきょにいる。

とうかようやくしたしむべく、かんぺんけんじょすべし。)

秋になって長雨が終わり、さわやかな涼しさが郊外の丘に来ています。

灯火の下での静かな作業に適した季節、書物を読むのにいい時期です。』

 

夏目漱石の本が当時人気があったことは言うまでもありません。読書階級の人たちは

三四郎を読んで、意味を解釈し、読書の秋が理解されてきました。

しかしまだ明治時代では生活も豊ではなく国民全体にそのような余裕はなかったはず

です。

読書週間

昭和に入って少しずつ国民の生活が豊かになっていくと読書を広めていこうという意

識も高まります。日本図書館協会が1923年に翌年11月の第1週を読書週間とし

て定めて最初の秋の読書週間が始まりました。

昭和22年(1947年)には日本出版協会が中核として様々な団体が参加して読書

週間実行委員会が設立。読書の力を使って平和な文化国家を作る目的をもって、読書

の普及に努めてきました。

1959年からは日本読書推進運動協議会が発足し、毎年秋の読書週間を主催してお

ります。毎年10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ

ています。『読書週間』が始まる10月27日は、「文字・活字文化の日」に制定さ

れております。今月下旬にやってきます。ブログを書いている人たちには楽しみな気

になる日ですね。

 

ということで、読書の秋はいろいろと歴史がある中で出来上がってきたものです。

勉強や本を読むのに適した室温は18℃から20℃あたりとか。

暑すぎず寒すぎずのこの季節に本を手にとって新たな物語に出会えるといいですね。

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秋は運動会

こんにちは。すっかり涼しくなりました。まさしく食欲も読書も最高の季節です。

秋のスポーツといえばいろいろありますが、運動会はだれもが参加したことのある

日本独特の行事ですね。ちょっと運動会の歴史を見てみましょう。

運動会の始まり

世界中で運動会の起源を探ってみると、1800年代イギリスのオックスフォード

大学で始まったとされていますが、その後なぜかヨーロッパでは広がりを見せてい

ません。

日本では、1868年(慶應4年=明治元年)に幕府がもっていた横須賀製鉄所で、

ここで働くフランス人と日本人が運動会を催したというのが定説のようです。

江戸時代末に始まったのですね。

1874年海軍兵学校で行われた「競闘遊戯会」という名でおこなわれたのが

最初の運動会だという方もいらっしゃるようです。

ハイカラ時代、東京だけでなく、北海道でも運動会が行われた記録があります。

1878年札幌農学校で集団訓練のための運動会が行われています。これ以降

運動会は「力芸会」の名で北海道の小中学校へ広がっていきました。

明治の文明開化のこの時期は武家社会から脱皮し、新しい時代の風が吹いていた

のでしょう、運動会もそんな新鮮な行事として受け入れられていったのではない

でしょうか。

1883年には東京大学運動会がイギリス人教師の指導のもと行われました。

そして1896年伊藤博文第一次内閣の文部大臣森 有礼は運動会を小中学校で

行うことを決めた文部省令を通達しました。ここが日本全国各地で運動会が実質

始められる切っ掛けではないかと思えます。

当時の小中学校といっても今のような校庭がきちっと整っていたわけではありま

せん。運動会を行うそれなりの広い場所は神社やお寺の境内あたりしかなかった

ようです。境内を使用するとなると、地元一般住民特に檀家や氏子の許可を得な

くてはならなかったはずです。許可を頂いたら、やはり檀家さんたちを見物に

招待します。やがて見るだけでなく、運動会への参加を呼びかけるようになる。

こうして運動会は地域の人たちが見物して、自分たちも参加する行事になり、

地域に定着していきました。

昭和に入って、まだ娯楽の少ない時代に家族そろって楽しめる大イベントに

なりました。親、御祖父ちゃん、お祖母ちゃんなどが朝から運動会を見物にきま

す。そしてお昼には折角家族が来ているのだからお弁当を一緒に食べ、過ごす時

間が設けられました。今の運動会の形がこうして出来上がりました。

現代の運動会

幼稚園の運動会は一番大切は仕事はなんといってもビデオ撮影のための場所取り

です。パパが朝早く起きて、開門前の幼稚園入口に長蛇の列ができることも珍し

くありません。そして演技や競技が始まると撮影会の始まりです。我が子かわい

さは昔も今も変わりませんが、なにはともあれ我が子の姿をビデオにカメラに

おさめるというのが幼稚園や小学校運動会の目的とすらなってしまっている

感があります。ちょっと寂しいです。直接目で見ることで記憶に焼き付ける

ことも大事ではないでしょうか。

リレーは花形

運動会で一番盛り上がるのはやはり最後の種目、リレー競争です。

クラスで一番駆け足の早い子が選ばれます。赤、白などチームの勝利も

掛かってくる大一番です。

アンカーにバトンが渡ると校庭は応援と歓声で最高潮に達します。ゴールの

ピストルは運動会の終わりの合図を告げます。

やがて静けさが会場を包みます。

リレーの盛り上がりに興奮するのは日本人ばかりではないのでしょうが、

リオオリンピックで男子リレー400mで銀メダルを取った時の日本人の

興奮はこの子供の頃の運動会の記憶がだれしもこころに刻み込まれている

からと思ってしまうのは私だけでしょうか。

運動会は日本人にとって大切なイベントなのです。

スポーツの秋

こんにちは。今日は日中も気温も下がって20度ちょっとで涼しい日和でした。

やっと秋めいてきました。

でも今年の10月10日は曇り空ですっきりしませんでしたね。

10日は以前、体育の日が固定されていました。東京オリンピックの開会式が

10日に行われたからです。

ではなぜ10月10日が開会式に設定されたのでしょうか?

それは過去の日本の気象データを集めたところ10月10日が晴れる確率が

非常に高いことがわかり、開会式が設定されました。

実に国民の願いは叶って、当日開会式の国立競技場は抜けるような青空でした。

この時のNHK実況北出清五郎アナウンサーの第1声は

「世界中の秋晴れを、全部東京に持ってきたような素晴らしい秋日和であります」

と高揚する日本人の気持ちを言葉にしました。

過去オリンピックが開催された月は4月、5月、7月、8月と北半球では暖かく

なるころから夏にかけて行われてました。

しかし、東京オリンピックでは初めて10月に開催され期待どおりの晴天に

恵まれました。このスポーツに最適の季節に行われた東京オリンピックの成功と

日本人のスポーツにおける国際的な活躍があり、その後日本中にスポーツの秋が

定着したようです。

 

剣道の大会

秋に行われるスポーツの大会はたくさんありますが、私は11月3日に

行われる「全日本剣道選手権大会」がこの季節にとても相応しく思えます。

日本で長く培われてきた武士道が今は剣道という道にその技と精神が

受け継がれています。

大会は、全国の都道府県での予選会を勝ち抜いた選手のトーナメント方式で

行われます。男子剣道日本一の選手を決める大会で、優勝者には天皇盃

授与され、最も栄誉ある剣道大会として位置付けられています。

大会はとても厳粛に進行され、出場選手は剣道の強さのみならず、武道の

精神に則った礼儀作法も求められています。

会場は日本武道館で、普段はコンサートやイベントでよく使われていますが

この大会を見ると、やはり武道館は武道が行われる場所だとつくづく感じます。

 

剣道の魅力

本大会はトーナメントであるため、負ければ終わりの真剣勝負。全国から

勝ち上がってきた剣の強者が日本一を目指して戦います。私は剣道の素人

ですから、勝負の決まる技がはっきりわかることはないのですが、立ち

会った二人が、静かに間を詰める動きや飛び込んで技を繰り出す瞬間の

気合い、激しく打ち合う竹刀の動き、音と他のスポーツとは違った

見るものを引き寄せるものがあります。

試合を見ていると、静と動、気と気のぶつかり、一瞬を見逃さない動きの

俊敏さなど剣道の奥深さの一面を見ることができ感動を覚えます。

 

剣道日本一

大会の長い歴史の中で、弱冠21歳5ヶ月で優勝した竹ノ内佑也(2014年

第62回)は大学3年生でした。脂の乗っている30歳から35歳ぐらい

の優勝者が一番多い。そんな中、剣道競技史上最強と言われたのが

宮崎正裕です。1990年27歳で初出場してから2001年まで実に

12年連続で出場し、優勝6回(内2連覇を2回)、準優勝2回と驚異的

戦績を残したのです。2連覇はそれまでだれも達成できなかった偉業を

初優勝の翌年も優勝してものの見事に成し遂げました。

彼を称して「平成の剣豪」、「剣道界の鉄人」、「努力の天才剣士」と

史上最強の名をとどろかせたのです。

 

近代西洋スポーツは、走る、跳ぶ、打つ、投げる、蹴るなどの運動能力と

点数の取り合いや時間の短さによるゲーム性の勝負事が多くの人々の

感動を生んできました。

日本古来から続く剣道は、西洋スポーツと生い立ち、歴史、勝負の決め方

など異なる点が多々あるので、同じに語ることはできないスポーツでは

ないでしょうか。

日本武道館でのこの大会は、日本武道の魅力を大いに感じることができる

秋のスポーツです。