順風逆風

日々吹いている風を受けて。今を大切に思いのままに綴っていきます。

ゴッホと日本

こんにちは。木々の緑が赤く黄く染まってきました。紅葉前線なる言葉があります。

モミジやイチョウなど木々の紅葉について、日本の北から南へ葉が順次色づいていく

状態を、前線にたとえた言い方です。森や山が色づくことを一つの自然現象として

捉えそれを待つ楽しみを生活に取り入れている日本人の特異な感性が表れている言葉

ではないでしょうか。

ゴッホについて続けてみます。

日本に憧れを抱いていたゴッホ

日本人が画家ゴッホを一番好きな画家としてあげていますが、実はゴッホもかつて

日本に強い憧れを持っていたことをご存知でしょうか。

ビンセント・ヴァン・ゴッホは画家でありましたが同時に手紙をたくさん書き残して

おり、その文章がとても美しく、時に哲学的表現であったり思いのすべてを手紙に

綴っています。これらの手紙の中で、日本の美に対する書簡がいくつか残っています。

ゴッホは浮世絵や日本の芸術品、小説『お菊さん』などを通し、日本を知ることと

なります。そこで日本の美に触れそして日本を愛していくようななりました。

作品においても『ムスメ(娘)』や髪を短くした自画像には『ボウズ(僧侶の意)』

と、日本の言葉で作品名をつけ、その心情を手紙におさめています。

ゴッホが日本について書いた手紙の一部を見てみましょう。

1888年、画家エミール・ベルナールに宛てた手紙

「親愛なるベルナール、君に手紙を約束した手前、僕はまず次のことから筆をすすめ

よう。清く澄んだ大気、明るい色の効果という点で、アルルはまるで日本だ!夢のよ

うだ。水の流れが景色のなかに美しいエメラルドとゆたかな青の筋をつけている。

大地を青く浮かび上がらせる淡いオレンジ色の夕焼け…」と。

「僕たちは日本の絵を愛し、その影響を受けている。印象派の画家はみなそうだ。

それならどうして日本へ、つまり日本のような南仏へ行かずにおられようか、影ひと

つない麦畑で、真昼の照りつける太陽を浴びて仕事をしているが、それでもセミのよ

うにご機嫌だ。まるで絵を描く機関車みたいに僕は爆進しているんだ」。

また弟テオに宛てた手紙には

「そして将来、日本人が日本でしたことをこの美しい土地でやるほかの芸術家が現わ

れてくることだろう。ここの自然がいつまでも好きなことは今後も変るまい、それは

まるで日本美術のようなもので、一度好きになると決して飽きない。」

「日本の絵が大好きで、その影響を受け、それはすべての印象派画家たちにも共通な

のに、日本へ行こうとはしない、つまり、日本に似ている南仏に。決論として、新し

い芸術の将来は南仏にあるようだ。君が当地にしばらく滞在できるとうれしい、君は

それをすぐ感じとり、ものの見方が変って、もっと日本的な眼でものをみたり、色彩

も違って感じるようになる。」

さらにこう綴っています。

「日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこ

まかく、感覚が素直なためだ。」

 

ゴッホがいかに日本を憧れ、愛していたかがこれらの手紙から強烈に伝わってきます。

37歳の若さでこの世を去ってから120年余が経った今、ゴッホが愛した日本の多

くの人たちが彼をこよなく愛している。

天国から見つめるゴッホにはきっと優しい微笑みが浮かんでいることでしょう。

 

 

 

絵画鑑賞

こんにちは。夜になって冷たい雨がおちてきました。昼間も冷たい風がビュービュー。

それでも街中は意外とコート着ている人が少ない。全身を包みこむようなコートを着

ている人はあまり見かけませんね。ちょっと流行らないのでしょうか。

画家ゴッホのひまわり

日本人が好きな画家と聞かれるとどのアンケート調査の結果を見ても一番人気は、

フィンセント・ファン・ゴッホ」となっています。そしてお気に入りの絵はみな

さん「ひまわり」となります。

あの力強いタッチのひまわりの花は見る人に鮮烈な印象をあたえるのでしょう。

この「ひまわり」は複数存在していて、ゴッホが1988年8月~1989年1月ご

ろにかけて7点描いています。パリで花瓶に挿されていない構図を含めると11点と

も12点ともいわれています。それも絵によってひまわりの本数が異なり3本、5本

12本、15本と描かれています。ゴッホはよほどこのひまわりのモチーフが好き

だったのかはたまた描いて描いてもさらにいい絵を求めて描いたのか今となっては謎

に包まれています。

このうち2番目の作品とされる「ひまわり」を1920年日本人の実業家山本顧彌太氏が

武者小路実篤の依頼により、現在の価格で約2億円で購入しました。翌年芸術展覧会

にて「ゴッホのひまわり」として公開され大きな反響がありました。

残念ながらこの「ひまわり」は第二次世界大戦で日本の地で焼失してしまいした。

 

5番目の作品「ひまわり」は15本のひまわりが花瓶に入った構図です。この作品を

1987年安田火災海上(現・損害保険ジャパン日本興亜)が3992万1750ドル(当時の

レートで約58億円)で購入し大きな話題となりました。この5番目の作品「ひまわり」

は、現在東京の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で鑑賞することができます。

日本人がゴッホ好きだからなのか、「ひまわり」が2品も日本持ち込まれて日本人が

「ひまわり」を好きになったのかはよくわかりませんが、いずれにしても日本での初

公開から90年以上たった今でもゴッホの人気が衰えることはありません。

縦92Cm×73cmの大カンバス一杯に描かれた鮮やかな黄色のひまわりの花は時を

超えて人々を魅了してやみません。

 

芸術の秋

こんにちは。北風が強くて12月の並の寒さになりました。みなさん風邪を召しません

よう気をつけましょう。秋をとおり越して冬になりそうですが、やっぱりもう少し秋を

楽しみたいですね。

芸術の秋という言葉があります。気候の温度や過ごしやすさから言えば春だって芸術を

楽しむことはできますよね。どうして秋なのでしょうか。見てみましょう。

展覧会の秋

芸術の秋は、美術の秋というフレーズが1918年に雑誌「新潮」で使われたものが変化

してこの言葉できあがったいわれています。もうひとつ言えば1918年の同じ年に

読売新聞が読書の秋をいう言葉を使っていますのでその影響もあるかもしれません。

また芸術祭という言葉が俳句の季語にあり、季節は秋となっています。

毎年11月3日前後して行われる文化庁主催の諸芸術の祭典が1946年(昭和21)に始

まります。演劇・映画・放送・音楽・舞踊・大衆芸能など広範囲にわたり,すぐれた

個人・団体に芸術祭賞,芸術祭奨励賞が贈られるのです。この芸術祭賞が秋に行われ

るので、芸術祭は秋の季語となり、芸術の秋も浸透してきたのではないでしょうか。

また二科展、日展院展はすべて、秋に開催されています。

各地の美術館も秋には特別企画展を催します。2016年秋に開催された東京都美術館

の「モネ展」は実に70万人の来場者があり、近年の中では大好評の展覧会でありまし

た。世界的名画を直接、生で見ることができるのは、本当に一生に一度しかないかもし

れません。そんな思いで絵の前に立つと絵から湧き出るエネルギーを感じます。

画家のこの絵を描いた時の思い、感情がカンバスに凝縮されています。

時を忘れて、絵を鑑賞し、作家の思いに耽る。

やっぱり秋なのですね。

 

続々・秋の公孫樹

こんにちは。夕方から雨が降ってきました。晩秋の雨は他の季節にはない冷たさと

寂しさがあるように思えます。雨に濡れて路上に重なる落葉もまた秋ならではの風景

でしょう。イチョウのことをみてきましたが、最後にもう1話してみます。

平和の象徴・被爆樹木

広島や長崎では、70年前原子爆弾に被爆し回りが焼き尽くされた中、その後芽を吹

いて今も生きている木々があります。「被爆樹木」と呼ばれています。

イチョウだけではなく、ヤナギ、プラタナス、クロガネモチなどがあり今も緑の葉を

いっぱい持ち生き続けています。長崎では大クスノキが有名です。およそ、何千℃と

いわれる高熱線を浴びてこの世の生物はすべて消滅させてしまい、当時70年は生命

は宿らないだろうと言われた原爆投下地に翌年新たな芽を吹き返すイチョウの生命力

に地元の人たちはいかに勇気づけらたことでしょう。

このイチョウが平和の象徴として2016年10月に海外に飛びました。ジュネーブ

国連欧州本部にある庭園に広島への原爆投下で被爆したイチョウの種から育てられ

た苗木の植樹されたのです。苗木は5月にジュネーブでの国連軍縮会合に平和首長

会議会長として出席した松井一実広島市長が、国連側に贈呈しました。植樹に参加し

潘基文事務総長は、演説で「この美しい苗木は、立ち直る力と平和の象徴だ」と

強調し、核兵器のない世界の実現に向けた各国の強い結束を表す木に育ってほしいと

の願いを語りました。

困難にもめげず生きることの大切さと生命力の尊さを被爆イチョウは教えてくれて

います。

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続・秋の公孫樹

こんにちは。今日は一段と冷え込んでいますと朝の天気予報が伝えています。日に日

に冬が近づいています。もう駅に続く街路樹のイチョウは銀杏が落ちきってしまった

感じです。深まりゆく秋の中でイチョウの話をもう少ししてみたいと思います。

東京のイチョウ

イチョウの木がなぜ東京の街路樹に多いのか。イチョウの木の表面は硬いコルク層に

厚くおおわれて、気候の変化や自然災害に耐えられるようにできています。江戸時代

の大火に何度も見舞われた江戸市中には火除け、つまり延焼を防ぐために様々な場所

にイチョウの木が植えられました。特に一定の敷地を持った多くの神社仏閣の境内に

植えられました。それが今では大きなイチョウに育ち秋には美しい姿を見ることがで

きるのです。大正時代に起こった関東大震災では、火災が広がる中、浅草・浅草寺

境内のイチョウが水を吹き、火を防いだとの言い伝えがあります。また第二次世界大

戦で街中焼け野原となった都内で一度は焼けた後に芽が出て生き残ったイチョウがあ

ります。その中の一本は、千代田区北の丸公園の武道館の駐車場入口に、根元が立派

な石垣に囲まれて残っているイチョウです。樹齢100年はゆうに超えており歴史を

見つめてきました。

東京都が「都の木」を選定するとき、東京の木選定委員会で決定した三種の候補の木

(ケヤキ、イチョウ、ソメイヨシノ)について住民の一般投票を行いました。投票の結

果は、イチョウ7,919(49%)、ケヤキ5,153(32%)、ソメイヨシノ3,032(19%)で、

委員の大多数はケヤキに賛成でしたが、都民投票のとおりイチョウに決定しました。

昭和41年11月14日東京都の木として発表しました。ちなみにイチョウを都道府県の木

としているのは他に神奈川県、大阪府と大都市がある地域なのが意外な感じです。

いかに多くの市民に親しまれてきた樹木であるかがわかります。

詩情溢れる黄葉のイチョウ

明治の情熱的歌人与謝野晶子は、歌集「恋衣」に

   金色の 小さき鳥のかたちして 銀杏ちるなり 夕日の丘に

と詠っています。影が長く伸びた秋の夕暮れ、陽があたり黄金色に染まったイチョウ

の木からはらはらと葉が一枚、一枚と緩やかに落ちていく光景がとても美しく表現さ

れています。また文豪夏目漱石

   鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺

と立ち寄ったお寺の一コマを見事に捉えています。この漱石の句は、正岡子規の有名

な俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の下敷きになった句でもあります。

時代を大きく遡って古代にイチョウの存在があったのかと調べてみると、万葉集や古

今和歌集にはイチョウを詠んだ歌はないという説が一般的に認めらているようです。

つまり、万葉の時代にイチョウはなかったというのです。が実は万葉集には「黄葉」

という文字で詠まれている和歌は40首余りあります。これをどう見るかですね。

これは紅く色づいた葉を指している。中世の奈良時代から平安時代においてはそのよ

うな解釈が一般説です。が私はちょっと反対の意見で、奈良時代にもイチョウの木が

そこかしこにあり、秋に黄金色に色づく木々を愛でていたと思われます。なぜ平安時

代にイチョウの記述がないのか。それは都が京都へ移ったため、土地柄イチョウの木

は少なく、他の赤く染まる木々を鑑賞することが流行となったのではないでしょうか。

これだけ美しく、丈夫な生命力のあるイチョウを万葉の人たちもきっと崇めていたと

思います。

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今イチョウの並木路を歩くとイチョウの葉の落ちる音がかさかさと耳に届きます。

 影法師 銀杏の葉踏みしめ 家路つく

秋の風景でした。

 

 

秋の公孫樹

こんにちは。だいぶ寒くなってきました。北海道では何年ぶりかの大雪と報道されて

います。でも北海道の方にとっては雪はあたりまえに降るので、ちょっと早く降った

くらいでは、驚かないそうです。(北海道の人が語ってました。)

今年の立冬は11月7日です。冬はもうそこまでやって来ています。けれども街中は

まだまだ木々の緑が残っていますよね。特にイチョウは黄色の葉になっている木と

いつまでも青々としている木ととても差があります。

秋が深まると黄金色に輝くイチョウについてちょっと見てみましょう。

原産地は中国・日本へ伝来

日本のイチョウは中国から伝来したとされています。日本原種説もありますが。

生きた化石と呼ばれ古代から現代まで生き続けているといわれる貴重な生物ですが

すが中国で初めて文献に出てくるのは宋の時代。西暦900年~1100年あたり。

当時書かれた書物「綱目」という本にイチョウの記述を見ることができます。

中国ではイチョウの葉が鴨の足、水かきの形に似ているので鴨脚と呼ばれ、実が食用

になるので栽培が広がりました。鴨脚を中国語で発音すると「イアチャオ」となるこ

とから、これが転じてイチョウとなったようです。 原産地は今の中国安徽省宣城県

が有力です。日本にいつごろ入ってきたか諸説あり定まっていないようです。長崎県

対馬の長松寺の巨樹イチヨウは樹齢1500年以上と言われ、仏教伝来の時、百済

僧侶がイチョウを伝えたされています。しかし厳密なところで確実な記録は、室町時

代の後期(1400年代後半)の「新撰類聚往来」にあります。以後、江戸時代には

火に強い性質があるため火除け地にイチョウが多く植えられていきます。公が種を撒

き、孫の代にならないと実を食べることができないという意味が公孫樹にはあります。

次の世代を思い公孫樹が育て継がれてきた時の流れを感ぜずにはいられません。

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見応えのある公孫樹

全国各地にある公孫樹の並木路や巨木は春の青々とした新葉の勢いと秋深まる時節に

時節には黄金色に衣を変え、時に私たちを癒してくれます。2007年に国土交通省

が集計した街路樹で一番多いのがなんとイチョウで57万本、次にサクラ、ケヤキ

キと続きます。全国のイチョウの名所を見てみましょう。

東京ではやはり新宿区にある明治神宮外苑の並木が見応え十分です。大正12年に

イチョウの木が植えられ、今156本が道の両側に綺麗に並び、黄色に染まった葉

のじゅうたんが出来上がります。同じく東京は立川市にある昭和記念公園のイチョウ

並木。ここはイチョウだけではなく、他の木々も秋には色とりどりに葉が染まり、紅

葉を楽しむことができる公園です。他にも東京にはイチョウの街路樹や神社の境内に

大きなイチョウがある場所がたくさんあります。文京区にある東京大学のイメージ

マークはイチョウの葉をモチーフにしているほどで、イチョウが親しまれていること

がわかります。

一方地方では北海道の北大札幌キャンパス・北大苫小牧植物研究所のイチョウが見応

えがあり、北の大地に大きな根を生やしています。一本イチョウで全国的に有名なの

青森県深浦町にある北金ケ谷のイチョウです。樹齢1000年以上高さ31m、周

囲22mと日本一と称されています。このイチョウは単に大きさだけではなく、上か

ら下に流れる枝ぶりの美しさも見事で、日本一とされる由縁であります。

京都は、浄土真宗総本山西本願寺の御影堂の前に育つ「水吹きイチョウ」が見事に色

づきます。天明の大火(1788年)ではお堂に火が燃え移りそうになった時、この

イチョウが水を吹いてお堂を守ったとの伝説があり、ゆえに水吹きのイチョウと呼ば

れているのです。

九州では、熊本城が別名「銀杏城」と呼ばれています。銀杏城というのは、加藤清正

が熊本城築城の際に城内にイチョウの木を多数植えたことが由来となっています。

イチョウの木を植えたのは、籠城戦になった際の食料確保のためというのも1つの理

由だったようです。本丸前にある大イチョウは西南戦争時燃えてしまったのですが、

また芽を吹き、今また大イチョウに育っています。

 

黄金色に染まるイチョウは、春のサクラに匹敵する美しさがあります。サクラの花び

らが春風に吹かれてさっーと飛ばされていくのに比べ、夕暮れどき、穏やかな陽に照

らされ、きらきらと輝きながら静かに落ちていくイチョウの葉の美しさに感動します。

幾重にも敷き詰めらた街路のイチョウの絨毯を踏みしめながら深まりゆく秋を感じる

今日この頃であります。

 

 

 

食欲の秋in湘南

こんにちは。食欲の秋。美味しいものが美味しくいただける季節ですね。

今や一億総グルメと言える時代ではないでしょうか。何しろ美味しいものに関する

情報が溢れています。そしてその情報をもとにその店へ行って何時間も並んで待っ

て食べる。待つ時間が長ければ長いほど、初めて味わった人気の味はまさに格別で

しょう。

しかし情報に頼らず、偶然か必然か入ったお店がすごくよかったなんてことありま

せんか。相模國をドライブして湘南まで来てしまいました。藤沢で出会った抜群の

ランチをご紹介しましょう。

和食「釜飯」

藤沢駅小田急百貨店をとおり過ぎて、やや細い通りにひしめきあっているレストラ

ンやラーメン、焼肉店などなど選ぶのに迷ってしまいました。それでも午後2時を

過ぎていたのでお店はどこも行列はありませんでした。細い通りの角に白いのれん

の煮干しらーめんの店も湘南らしく、ヘルシーにいいかなと思いましたが、お昼の

時間を遠くとおりすぎたお腹は空腹の極致でありまして、もう少しボリューミーに

いきたいところでらーめんはパスしました。細い通りからさらに細い通りに入って

いくと、遠くには焼肉の文字とネオンが光っており、ここか!とひらめきを感じ足

を向けていきました。途中黒板に店名が刻まれたお店の前に飾ってあるメニューが

ふと目にとまり、「釜飯ランチコース」と1500円の文字が足を止めさせました。

「釜めし歳時記さき亭」

お店の中は、ほぼ満席でしたが、お昼もだいぶ過ぎていたのですぐに席に案内して

くれました。ランチコースのメニューに載っている写真は品数が多いが、中身がど

れほどかはわからずちょっと気がかりでしたが、貝づくしのランチコースを注文。

まず小鉢3種盛りにはしっかりとダシをとった野菜の煮物がならんででてきます。

次に串焼2本は、ネギ間と田楽みそだれ付で焼き鳥がやわらかくとてもジューシー。

さらに刺身はカルパッチョ風に、アジ、イワシ、マグロ、ハマチ、タイと5種も。

お椀が続きイワシのつくねと秋那須のあんかけ煮はつくねのふわっとした柔らかさ

がいい感じ。

ここでランチ1食分ぐらいを食してしまいますが、釜飯が炊き上がる時間がちょう

ど経ち、メインの釜飯(貝づくし)をいただきます。幾種類の貝のだしがごはんに

しみ込んで、釜飯の本物の味を堪能できました。

お味噌汁は心遣いの赤だしでほっとさせられます。最後に釜にこびりついたおこげ

も食べつくし、その香ばしさがとてもグッドでした。

口直しは、デザートの杏仁豆腐と美味しい熱いお茶をいただきました。

もう信じられないほどのボリュームと味の美味しさは最高の釜飯ランチコースで

す。店内に筆で書かれた夜のメニューも一度食べてみたいと思わせる品々でした。

 

スマホで探さなかったからなのか、とても素敵なお店「さき亭」に偶然出会うこと

ができました。店構えは豪華でもシックでもありませんが、料理は料理人の心意気

を十分感じるものでした。こんな素晴らしいお店に出会えるとは久々の満足感をい

ただけた食欲の秋の一日でした。

近くにお立ちよりの機会がありましたら寄ってみてくださいませ。