読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

順風逆風

日々吹いている風を受けて。今を大切に思いのままに綴っていきます。

軽井沢へ

こんにちは。 週末に軽井沢へ遊びに行ってきました。もう十数年ぶりでしたので

懐かしいやら変貌に驚くやらと楽しい週末でした。軽井沢レポートです。

 

軽井沢・避暑地の始まり

明治19年(1886年)にカナダ人宣教師アレクサンダー・クロフト・ショー

たまたま訪れたこの地の気候、自然景観が気に入り、明治21年には彼が別荘を

設けたことが避暑別荘地の歴史の始まりです。

でも当時クロフト・ショーは鉄道もない道も整備されていないこの地になぜ別荘

を建てることを決めたのでしょう。

確かに標高1000mの軽井沢は年平均気温が7.8度と札幌の平均気温8.5度より

低いので過ごしやすかったことは間違はありません。

緑も豊かで景勝地としても素晴らしかったはずですが、当時の日本はどこも森や

林がほとんどであったはずで軽井沢だけが特別な場所ではなかったと思われます。

でもクロフト・ショーがカナダのトロント出身であり、彼の故郷とどこか似てい

る風景を軽井沢の地で発見したため、ここに別荘を設けることに決めたと想像す

ると納得できる気がします。

軽井沢 地名の由来

軽井沢という地名は実は全国に結構多くあり、福島、宮城、秋田の東北や新潟、富山

さらには九州にも同じ地名を見ることができます。

かるいざわは本当の発音はかるいさわと濁らないと言われており、地元民の方はかる

いさわと言うようです。たまに地元通ぶっている人がかるいさわと言ったりしてます

が外から行った人は知ったかぶりしないでかるいざわといいましょう。

軽井沢の地名由来は、諸説あり決着はついていないようです。峠のふもとでは馬から

荷物を降ろして背負って峠を登っていくことになるので、昔の方言で「かるう」と

言ったことから「かるうさわ」が転じて「かるいさわ」となった。また火山で軽石

がたくさんあり軽石沢が変化したなどがあります。

軽井沢の隆盛

明治後半には発掘人クロフト・ショーが他の外国人に軽井沢を紹介することで、

この地を訪れる人達が増え、次第に名が知られていくようになっていきます。

しかも軽井沢駅が設けられ、東京と直結し、万平ホテル(当時亀屋ホテル)

三笠ホテル、軽井沢ホテルなど一流の洋式ホテルが次々にできたこともあり

宣教師、知識人、文化人の間で人気の的となりました

昭和に入り、戦後の高度成長期の中、西武グループ東急グループがリゾート

開発に力を入れホテルやゴルフ場、別荘地の造成などが次々に造られ、富裕層

著名人たちの避暑地から一般の庶民も訪れることができるようになり、夏には

どっと旅行者が押し寄せる混雑の観光地となっていきます。

 

軽井沢の今日

今回本当に久しぶりに訪れて思うのは、アウトレットと外国人旅行客という印象

です。

旧軽井沢と言われる避暑別荘地の発祥のエリアは、昭和時代の雰囲気がそのまま

残っており、変わらない街並がとても懐かしく思えました。旧軽井沢銀座通りは

道の両側に店々が立ち並ぶとても素敵なストリートです。この商店街の素晴らし

さは飲食店や土産菓子を売る店ばかりでなく、画廊や雑貨、ガラス工芸品などの

お店が多いのが特徴です。文化的な香りがする街並みです。

しかし驚いたことは、この通りを歩く人達の半分は中国、韓国などの旅行客であ

ることです。このご時世驚くことでもないのでしょうが、京都や浅草、北海道で

もなくここ軽井沢でもインバウンドパワーには圧倒されました。

もう一つは、軽井沢に新たな旅行客を呼び込んでいるのが、軽井沢駅に隣接する

巨大なアウトレットショッピングモールです。高級ブランド品の入ったショッピング

バッグをいくつも抱え歩く人たち。年齢も若い人から年配まで幅広い層の買い物客で

ごった返す風景は、十数年前にはなかったものです。

 

 

以前のゆったりとした軽井沢のイメージからかけ離れた光景を今回の旅で目の当たり

に見ることとなり、驚きと少し残念な思いをしました。しかし夏休みを過ぎたこの

時期であっても、たくさんの旅行客が訪れている軽井沢は活気が溢れていて、すごい

ことだと感心もしました。

これから十数年後、次に変貌する軽井沢に会えるのが楽しみです。長生きしよっと。