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順風逆風

日々吹いている風を受けて。今を大切に思いのままに綴っていきます。

続・秋の公孫樹

こんにちは。今日は一段と冷え込んでいますと朝の天気予報が伝えています。日に日

に冬が近づいています。もう駅に続く街路樹のイチョウは銀杏が落ちきってしまった

感じです。深まりゆく秋の中でイチョウの話をもう少ししてみたいと思います。

東京のイチョウ

イチョウの木がなぜ東京の街路樹に多いのか。イチョウの木の表面は硬いコルク層に

厚くおおわれて、気候の変化や自然災害に耐えられるようにできています。江戸時代

の大火に何度も見舞われた江戸市中には火除け、つまり延焼を防ぐために様々な場所

にイチョウの木が植えられました。特に一定の敷地を持った多くの神社仏閣の境内に

植えられました。それが今では大きなイチョウに育ち秋には美しい姿を見ることがで

きるのです。大正時代に起こった関東大震災では、火災が広がる中、浅草・浅草寺

境内のイチョウが水を吹き、火を防いだとの言い伝えがあります。また第二次世界大

戦で街中焼け野原となった都内で一度は焼けた後に芽が出て生き残ったイチョウがあ

ります。その中の一本は、千代田区北の丸公園の武道館の駐車場入口に、根元が立派

な石垣に囲まれて残っているイチョウです。樹齢100年はゆうに超えており歴史を

見つめてきました。

東京都が「都の木」を選定するとき、東京の木選定委員会で決定した三種の候補の木

(ケヤキ、イチョウ、ソメイヨシノ)について住民の一般投票を行いました。投票の結

果は、イチョウ7,919(49%)、ケヤキ5,153(32%)、ソメイヨシノ3,032(19%)で、

委員の大多数はケヤキに賛成でしたが、都民投票のとおりイチョウに決定しました。

昭和41年11月14日東京都の木として発表しました。ちなみにイチョウを都道府県の木

としているのは他に神奈川県、大阪府と大都市がある地域なのが意外な感じです。

いかに多くの市民に親しまれてきた樹木であるかがわかります。

詩情溢れる黄葉のイチョウ

明治の情熱的歌人与謝野晶子は、歌集「恋衣」に

   金色の 小さき鳥のかたちして 銀杏ちるなり 夕日の丘に

と詠っています。影が長く伸びた秋の夕暮れ、陽があたり黄金色に染まったイチョウ

の木からはらはらと葉が一枚、一枚と緩やかに落ちていく光景がとても美しく表現さ

れています。また文豪夏目漱石

   鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺

と立ち寄ったお寺の一コマを見事に捉えています。この漱石の句は、正岡子規の有名

な俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の下敷きになった句でもあります。

時代を大きく遡って古代にイチョウの存在があったのかと調べてみると、万葉集や古

今和歌集にはイチョウを詠んだ歌はないという説が一般的に認めらているようです。

つまり、万葉の時代にイチョウはなかったというのです。が実は万葉集には「黄葉」

という文字で詠まれている和歌は40首余りあります。これをどう見るかですね。

これは紅く色づいた葉を指している。中世の奈良時代から平安時代においてはそのよ

うな解釈が一般説です。が私はちょっと反対の意見で、奈良時代にもイチョウの木が

そこかしこにあり、秋に黄金色に色づく木々を愛でていたと思われます。なぜ平安時

代にイチョウの記述がないのか。それは都が京都へ移ったため、土地柄イチョウの木

は少なく、他の赤く染まる木々を鑑賞することが流行となったのではないでしょうか。

これだけ美しく、丈夫な生命力のあるイチョウを万葉の人たちもきっと崇めていたと

思います。

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今イチョウの並木路を歩くとイチョウの葉の落ちる音がかさかさと耳に届きます。

 影法師 銀杏の葉踏みしめ 家路つく

秋の風景でした。