順風逆風

日々吹いている風を受けて。今を大切に思いのままに綴っていきます。

秋は運動会

こんにちは。すっかり涼しくなりました。まさしく食欲も読書も最高の季節です。

秋のスポーツといえばいろいろありますが、運動会はだれもが参加したことのある

日本独特の行事ですね。ちょっと運動会の歴史を見てみましょう。

運動会の始まり

世界中で運動会の起源を探ってみると、1800年代イギリスのオックスフォード

大学で始まったとされていますが、その後なぜかヨーロッパでは広がりを見せてい

ません。

日本では、1868年(慶應4年=明治元年)に幕府がもっていた横須賀製鉄所で、

ここで働くフランス人と日本人が運動会を催したというのが定説のようです。

江戸時代末に始まったのですね。

1874年海軍兵学校で行われた「競闘遊戯会」という名でおこなわれたのが

最初の運動会だという方もいらっしゃるようです。

ハイカラ時代、東京だけでなく、北海道でも運動会が行われた記録があります。

1878年札幌農学校で集団訓練のための運動会が行われています。これ以降

運動会は「力芸会」の名で北海道の小中学校へ広がっていきました。

明治の文明開化のこの時期は武家社会から脱皮し、新しい時代の風が吹いていた

のでしょう、運動会もそんな新鮮な行事として受け入れられていったのではない

でしょうか。

1883年には東京大学運動会がイギリス人教師の指導のもと行われました。

そして1896年伊藤博文第一次内閣の文部大臣森 有礼は運動会を小中学校で

行うことを決めた文部省令を通達しました。ここが日本全国各地で運動会が実質

始められる切っ掛けではないかと思えます。

当時の小中学校といっても今のような校庭がきちっと整っていたわけではありま

せん。運動会を行うそれなりの広い場所は神社やお寺の境内あたりしかなかった

ようです。境内を使用するとなると、地元一般住民特に檀家や氏子の許可を得な

くてはならなかったはずです。許可を頂いたら、やはり檀家さんたちを見物に

招待します。やがて見るだけでなく、運動会への参加を呼びかけるようになる。

こうして運動会は地域の人たちが見物して、自分たちも参加する行事になり、

地域に定着していきました。

昭和に入って、まだ娯楽の少ない時代に家族そろって楽しめる大イベントに

なりました。親、御祖父ちゃん、お祖母ちゃんなどが朝から運動会を見物にきま

す。そしてお昼には折角家族が来ているのだからお弁当を一緒に食べ、過ごす時

間が設けられました。今の運動会の形がこうして出来上がりました。

現代の運動会

幼稚園の運動会は一番大切は仕事はなんといってもビデオ撮影のための場所取り

です。パパが朝早く起きて、開門前の幼稚園入口に長蛇の列ができることも珍し

くありません。そして演技や競技が始まると撮影会の始まりです。我が子かわい

さは昔も今も変わりませんが、なにはともあれ我が子の姿をビデオにカメラに

おさめるというのが幼稚園や小学校運動会の目的とすらなってしまっている

感があります。ちょっと寂しいです。直接目で見ることで記憶に焼き付ける

ことも大事ではないでしょうか。

リレーは花形

運動会で一番盛り上がるのはやはり最後の種目、リレー競争です。

クラスで一番駆け足の早い子が選ばれます。赤、白などチームの勝利も

掛かってくる大一番です。

アンカーにバトンが渡ると校庭は応援と歓声で最高潮に達します。ゴールの

ピストルは運動会の終わりの合図を告げます。

やがて静けさが会場を包みます。

リレーの盛り上がりに興奮するのは日本人ばかりではないのでしょうが、

リオオリンピックで男子リレー400mで銀メダルを取った時の日本人の

興奮はこの子供の頃の運動会の記憶がだれしもこころに刻み込まれている

からと思ってしまうのは私だけでしょうか。

運動会は日本人にとって大切なイベントなのです。