順風逆風

日々吹いている風を受けて。今を大切に思いのままに綴っていきます。

神無月

こんにちは。 10月に入りもう1週間が過ぎました。台風も過ぎました。

3日前は拙宅の窓にゴーゴーと強風が吹きつけておりました。

9月は日照時間が28年ぶりの少なさでした。自然を相手に生業を営む人達は

大変です。10月は何とかおだやかな天候になってもらいたいものです。

神無月とは

10月になるとテレビや雑誌などで「10月は神無月といい、全国の神様が

みんな出雲に集まる月です」と解説していることを目にすることがあります。

<神無月とはどう意味でしょう>諸説ありますのでちょっと確認してみます。

「10月」と書いて「かんなづき」と読ませる、奈良時代万葉集の歌には、

4首にでてきます。西暦700年代のこの時期は漢字の「神無月」はまだ出現

していません。

 

古今和歌集に次の2首があります。この歌は西暦915年ごろ(延喜年間)

のもの推定されています。

・神無月 時雨もいまだ ふらかくに かねてうつろふ 神なぎのもり

・神無月 時雨に濡るる もみぢ葉は ただわび人の 袂(たもと)なり

しかし当時の漢字は当て字も多く学説では「無」「の」の意味で「神の月」

という意味だったと言われています。ここで旧暦10月=「かみのつき」

が認識されていたようです。しかしこの時点でかみのつきに出雲に神様が

集まると言っているわけではありません。

 

平安時代後期西暦1135~41年に成立した藤原清輔の歌学書「奥義

書」にはこう書かれています。

「天下の神無月をば 出雲国には 神在月とも神月とも申すなり

 我朝の諸神集り給うゆえなり」

ここで初めて神在月と明言しています。

 

南北朝時代に書かれた万葉集注釈書「詞林采葉抄」には、

「そもそも、天下の神無月を出雲国には神在月とも・・・・。 わが国の諸神が

 お集まりになるためである。その神在浦に神々が来臨される時には小さい童が

 戯れに作ったような篠舟を波の上に浮かべるが、その数は数えきれないほどである。

 諸神はその浦の神在の社にお集まりになって、大社へはお参りにならないという。

 その神在社は不老山という所にいらっしゃって、神号を佐太大明神という。」

1334~6年ごろと思われるこの記述は、出雲に神が集まり、他の地は神がいない

といい、さらに神が集まるのは佐太大明神(現在の佐太神社)であるとしています。

現在の出雲大社(当時は杵築大社と呼ばれていた)に神が集まるとは伝えていない。

佐太神社では現在も500年来より引き継がれてきた神を迎える祀りが行われていま

す。

 

1330年代のほぼ同じ時期に吉田兼好は名著「徒然草」にはこうあります。

「十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよしは、記したるものなし。

 本文も見えず。但し当月、諸社の祭なき故に、この名あるか。

 この月、万の神達、太神宮に集まり給ふなど言ふ説あれども その本説なし。

 さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月、諸社の

 行幸、その例も多し。但し、多くは不吉の例なり」 

神無月はあるようだが、明確な根拠がない。伊勢神宮に神が集まるいるとの説も

聞いているが、その根拠が見つからないとも述べて、出雲大社自体も出てこない

のです。

 

年代に沿って「神無月」と言われるようになった記述を見てみると、

出雲の国で神在月となったもともとは10月に神様を神殿に迎える儀式が

古代からあった。これは全国どこでも行われていた。だから10月を

「神の月」、神に感謝する月であったと推察してみたいです。

平安時代には、社を宣伝するために出雲を詣でた人たちまたは「御師」と

呼ばれ、寺や神社を宣伝し各地を行き来した人によって出雲へ神が集まる

と伝え広めたのではないでしょうか。あくまで個人的解釈ですが。

いずれにしても、10月、神様の月です。自然の恵みに感謝し、家族の無事を

国の安寧を願う気持ちは二千年の時が経っても変わらない神々の祈りとなって

今も受け継がれています。