順風逆風

日々吹いている風を受けて。今を大切に思いのままに綴っていきます。

オイスターの美味しさ

こんにちは。12月も残りわずかになってきました。冬本番という時節柄ですが、

小春日和という日が続いたりすると12月っていちばんいい季節かなと思ったり

します。12月になって仲間あたりから聞こえてくるのは、冬は牡蠣がやっぱり

美味しいですよね。ということで先日オイスターバーへ行ってきました。

オイスターバーグランドセントラル」

牡蠣を食べる習慣は日本独特と思っている人がいるかもしれませんが、実は刺身は

昔食べていなかったのに、牡蠣だけは欧米でも生で広く食べられていました。

世界にはそれぞれの土地に違った牡蠣があるようです。

最初の注文はやっぱり生牡蠣セットのオイスタープラッター。アメリカのクマモト

やオーストラリアのコンフィンベイなど日本の牡蠣と形も違って丸っこかったり

小ぶりだったりと見ても面白い牡蠣がありました。

生牡蠣だったら味は大体同じだろうと思いつつ口に入れると、これが見事に違う

美味しさを味わうことに。濃厚な味、甘さを感じる味、潮の香り漂う味と。

大感激です!! もちろん国産の牡蠣もあります。

生の牡蠣が苦手な人は、蒸し牡蠣がオススメです。ちなみに広島では地元の人たち

が美味しく食べる料理の一番人気はまさしく蒸し牡蠣なのです。

また、熱々のカキフライもボリューミーで食べごたえ満点。

このお店もちろん牡蠣専門店ですが、牡蠣以外でぜひぜひ食べてもらいたいのが、

クラムチャウダースープです。大人気の一品でこってりとしたスープの味の深み

がたまりません。もうこれで大体お腹いっぱいになりますが、今回は〆のご飯に

ポルチーニ仕立てのリゾットをいただきました。チーズの濃厚な味わいとポルチーニ

香りがマッチして正に絶品でした。

ワインもかなり進んだところで、ニューヨークから進出のオイスタバー「グランド

セントラル」の牡蠣料理を堪能しました。

牡蠣がおいしくなり、また食べたくなるこの季節にオススメのお店です。

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雪になるかも

こんにちは。11月下旬はまだ紅葉の見ごろの時期なのに明日は東京に雪が降るかも

しれいないそうです。

11月に東京での降雪になると観測史上初めてということです。

夏は記録尽くめの高温気象で温暖化が叫ばれていますが、冬になると東北、北海道で

大雪でとなり、夏は暑すぎ、冬は寒すぎとなってきている日本列島です。

見てみたい雪景色

某企業の大学生へ「雪景色を見に行くならどの都道府県か」というアンケート結果が

出ていました。ランキングは次のとおりです。

第1位 北海道  220人(54.5%)
第2位 京都府    20人( 5.0%)
第3位 東京都    19人( 4.7%)
第4位 新潟県  15人( 3.7%)
第5位 神奈川県 13人( 3.2%)

ということで、当然ですが雪景色といえば北海道、北海道といえば雪というイメー

ジが全国的いかに浸透していることがわかりますね。京都はやはり日本伝統の古都

の街並みの美しさに雪が加わることでことさら雅な風情を感じることになるからで

しょう。神社の鳥居や社殿の板塀の朱の鮮やかさに対し、屋根に積もる雪の白が見

事なコントラストを描いてくれます。さしずめ上賀茂神社あたりが見事な雪化粧を

見せてくれるでしょう。

次が首都東京です。1年になんどと積雪がないこの人口的な街には雪が似合わない

気もしますが、やはり普段あまり見られない景色を見てみたいという気持ちはわか

ります。今にもし雪が降るのであれば、絵画館前のイチョウ並木の雪化粧はなんと

もいえない一枚の絵になることでしょう。また皇居のお堀の石垣に付く雪をみると

かつて雪の日に起きた大きな事件、桜田門外の変忠臣蔵の吉良邸討ち入りが思い

出されます。昭和の時代には226事件当日が雪で、東京での雪はちょっと翳の

イメージもあるように思います。

でも雪国以外の人には、まれには自分の住んでいる街に雪が積もり、普段見慣れた

空間が一変する景色が一番印象的でないでしょうか。雪で大変な思いをしている

方々には顰蹙を買うことですが、たまに訪れる東京の雪景色も見てみたいものです。

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駅前の落葉

こんにちは。駅前での光景です。

落葉の歩道

駅の改札をとおり抜けると、傘をカバンが取り出し、黒い生地を広げた歩き出した。

駅前にはお決まりのロータリーが中央に噴水のある人口池を取り囲んでいる。

赤茶色のレンガが敷き詰められた歩道も車道に沿っていて、そこにはプラタナス

街路樹が並び立っている。街路樹の葉は、秋の到来を奏でるかのように赤や黄色に

色づき、その葉が歩道に重なっている。夜空には目を凝らさなくてもうっすらと

見えるどんよりとした雨雲が漂い、冷たい雨が歩道の枯葉を濡らしている。

それほど夜半ではないのに、人通りは少ない。家路の方角と反対回りへ足を歩み

だしていた。ふと黒い生地が切れる視界が通る少し先に、すらりと伸びたジーンズに

包まれた少女の足が見えた。傘を上げ視野を広げると黒髪をポニーテールに

束ねた少女が足元を見つめている。白いスニーカーを交互に動かし、さらにつま先

立ちをしたり、クロスしたりして静かにリズムをとる。

こちらの視線には気づかない。母親か誰かが駅に車で迎えるのを待っているようだ。

少女は大きなアクションで手を広げたり、回転したりはしない。ただリズムをとり

足を動かしている。思いのほか立ち止まり見入る。駅のロータリーに、電車と同じ

会社のバスが終点の停留所に向かって入ってきた。バスのヘッドライトが歩道の落

葉を照らし、そして少女の顔に光が当たった。少女はふと顔を上げた。

視線が合うと一瞬の間でこちらを見つめ、さらに少しはにかんだ笑顔が浮かんだ。

でもすぐにこちらに興味がなさそうにまた足元に視線を置く。つま先立ちしそうに

なりながらリズムをとり、雨に濡れた落葉の上に足を交互に動かしている。

少女の前をとおり過ぎる。ちょっとだけ視線があった。少女は紅い頬にはにかんだ

微笑みを返してくれた。冷たい雨が風に踊って降りかかってきた。

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百舌が枯れ木で鳴いている

こんにちは。明日はスーパームーンということらしいのですが、本日は雲が薄く

掛かって、朧月夜のようでした。深夜でも月は見えますか?

先日ブログでモズの写真がアップされていました。とても綺麗に撮れてましたの

で百舌をじっと見入ってしまいました。百舌というとふと小学校の頃に先生が

歌って教えてくれた歌を思い出しました。

百舌が枯れ木で

 もずが枯木に鳴いている
 おいらは藁をたたいてる
 わたびき車はおばあさん
 こっとん水車も回ってる

 みんな去年と同じだよ
 けれども足ん無(ね)えものがある
 兄(あん)さの薪割る音が無(ね)え
 バッサリ薪割る音が無(ね)え

 兄(あん)さは満州へ行っただよ
 鉄砲(てっぽ)が涙で光っただ
 百舌と寒くも泣くでねえ
 兄(あん)さはもっと寒いだぞ

とこんな詩が綴られています。歌詞に物悲しさがありますね。この歌は第二次

世界大戦時に反戦歌として作らたからです。茨城県の民謡とてして、戦時中、

兄を兵隊としてとられた家族が、やるせなさと怒りを内に込めて歌い、広まり

ました。詩は昭和10年10月にサトウハチローが「僕らの詩集」(講談社)に発表

したもので当時のタイトルは「百舌よ泣くな」でした。一方、曲は小学校の音楽

教師だった徳富繁が昭和13年3月18日に作っています。

昭和初期の戦時においては全国各地に戦地へ出兵した若い息子たちを思う家族が

兵隊と同じ数だけいました。その思いはただ待ち焦がれるだけではなく、時に

戦争に、政府に対し怒りを持つことになっていきました。言論統制下の世の中で

は公の場で思いを語ることはできず、「百舌が枯れ木で」といった歌に思いを託

すことしかなかったのでしょう。何時の時代も本音を語りあえる世の中であって

ほしいものです。

秋も深まると百舌はキィーキィーと澄み切った空に甲高い鳴き声を発します。

鳴き声は戦地から帰らない息子への思いを嘆く声に家族には聞こえたのかもしれ

ません。

  子を思い 藁をたたいて 鵙の声

秋も深まってきました。

 

 

ゴッホと日本

こんにちは。木々の緑が赤く黄く染まってきました。紅葉前線なる言葉があります。

モミジやイチョウなど木々の紅葉について、日本の北から南へ葉が順次色づいていく

状態を、前線にたとえた言い方です。森や山が色づくことを一つの自然現象として

捉えそれを待つ楽しみを生活に取り入れている日本人の特異な感性が表れている言葉

ではないでしょうか。

ゴッホについて続けてみます。

日本に憧れを抱いていたゴッホ

日本人が画家ゴッホを一番好きな画家としてあげていますが、実はゴッホもかつて

日本に強い憧れを持っていたことをご存知でしょうか。

ビンセント・ヴァン・ゴッホは画家でありましたが同時に手紙をたくさん書き残して

おり、その文章がとても美しく、時に哲学的表現であったり思いのすべてを手紙に

綴っています。これらの手紙の中で、日本の美に対する書簡がいくつか残っています。

ゴッホは浮世絵や日本の芸術品、小説『お菊さん』などを通し、日本を知ることと

なります。そこで日本の美に触れそして日本を愛していくようななりました。

作品においても『ムスメ(娘)』や髪を短くした自画像には『ボウズ(僧侶の意)』

と、日本の言葉で作品名をつけ、その心情を手紙におさめています。

ゴッホが日本について書いた手紙の一部を見てみましょう。

1888年、画家エミール・ベルナールに宛てた手紙

「親愛なるベルナール、君に手紙を約束した手前、僕はまず次のことから筆をすすめ

よう。清く澄んだ大気、明るい色の効果という点で、アルルはまるで日本だ!夢のよ

うだ。水の流れが景色のなかに美しいエメラルドとゆたかな青の筋をつけている。

大地を青く浮かび上がらせる淡いオレンジ色の夕焼け…」と。

「僕たちは日本の絵を愛し、その影響を受けている。印象派の画家はみなそうだ。

それならどうして日本へ、つまり日本のような南仏へ行かずにおられようか、影ひと

つない麦畑で、真昼の照りつける太陽を浴びて仕事をしているが、それでもセミのよ

うにご機嫌だ。まるで絵を描く機関車みたいに僕は爆進しているんだ」。

また弟テオに宛てた手紙には

「そして将来、日本人が日本でしたことをこの美しい土地でやるほかの芸術家が現わ

れてくることだろう。ここの自然がいつまでも好きなことは今後も変るまい、それは

まるで日本美術のようなもので、一度好きになると決して飽きない。」

「日本の絵が大好きで、その影響を受け、それはすべての印象派画家たちにも共通な

のに、日本へ行こうとはしない、つまり、日本に似ている南仏に。決論として、新し

い芸術の将来は南仏にあるようだ。君が当地にしばらく滞在できるとうれしい、君は

それをすぐ感じとり、ものの見方が変って、もっと日本的な眼でものをみたり、色彩

も違って感じるようになる。」

さらにこう綴っています。

「日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこ

まかく、感覚が素直なためだ。」

 

ゴッホがいかに日本を憧れ、愛していたかがこれらの手紙から強烈に伝わってきます。

37歳の若さでこの世を去ってから120年余が経った今、ゴッホが愛した日本の多

くの人たちが彼をこよなく愛している。

天国から見つめるゴッホにはきっと優しい微笑みが浮かんでいることでしょう。

 

 

 

絵画鑑賞

こんにちは。夜になって冷たい雨がおちてきました。昼間も冷たい風がビュービュー。

それでも街中は意外とコート着ている人が少ない。全身を包みこむようなコートを着

ている人はあまり見かけませんね。ちょっと流行らないのでしょうか。

画家ゴッホのひまわり

日本人が好きな画家と聞かれるとどのアンケート調査の結果を見ても一番人気は、

フィンセント・ファン・ゴッホ」となっています。そしてお気に入りの絵はみな

さん「ひまわり」となります。

あの力強いタッチのひまわりの花は見る人に鮮烈な印象をあたえるのでしょう。

この「ひまわり」は複数存在していて、ゴッホが1988年8月~1989年1月ご

ろにかけて7点描いています。パリで花瓶に挿されていない構図を含めると11点と

も12点ともいわれています。それも絵によってひまわりの本数が異なり3本、5本

12本、15本と描かれています。ゴッホはよほどこのひまわりのモチーフが好き

だったのかはたまた描いて描いてもさらにいい絵を求めて描いたのか今となっては謎

に包まれています。

このうち2番目の作品とされる「ひまわり」を1920年日本人の実業家山本顧彌太氏が

武者小路実篤の依頼により、現在の価格で約2億円で購入しました。翌年芸術展覧会

にて「ゴッホのひまわり」として公開され大きな反響がありました。

残念ながらこの「ひまわり」は第二次世界大戦で日本の地で焼失してしまいした。

 

5番目の作品「ひまわり」は15本のひまわりが花瓶に入った構図です。この作品を

1987年安田火災海上(現・損害保険ジャパン日本興亜)が3992万1750ドル(当時の

レートで約58億円)で購入し大きな話題となりました。この5番目の作品「ひまわり」

は、現在東京の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で鑑賞することができます。

日本人がゴッホ好きだからなのか、「ひまわり」が2品も日本持ち込まれて日本人が

「ひまわり」を好きになったのかはよくわかりませんが、いずれにしても日本での初

公開から90年以上たった今でもゴッホの人気が衰えることはありません。

縦92Cm×73cmの大カンバス一杯に描かれた鮮やかな黄色のひまわりの花は時を

超えて人々を魅了してやみません。

 

芸術の秋

こんにちは。北風が強くて12月の並の寒さになりました。みなさん風邪を召しません

よう気をつけましょう。秋をとおり越して冬になりそうですが、やっぱりもう少し秋を

楽しみたいですね。

芸術の秋という言葉があります。気候の温度や過ごしやすさから言えば春だって芸術を

楽しむことはできますよね。どうして秋なのでしょうか。見てみましょう。

展覧会の秋

芸術の秋は、美術の秋というフレーズが1918年に雑誌「新潮」で使われたものが変化

してこの言葉できあがったいわれています。もうひとつ言えば1918年の同じ年に

読売新聞が読書の秋をいう言葉を使っていますのでその影響もあるかもしれません。

また芸術祭という言葉が俳句の季語にあり、季節は秋となっています。

毎年11月3日前後して行われる文化庁主催の諸芸術の祭典が1946年(昭和21)に始

まります。演劇・映画・放送・音楽・舞踊・大衆芸能など広範囲にわたり,すぐれた

個人・団体に芸術祭賞,芸術祭奨励賞が贈られるのです。この芸術祭賞が秋に行われ

るので、芸術祭は秋の季語となり、芸術の秋も浸透してきたのではないでしょうか。

また二科展、日展院展はすべて、秋に開催されています。

各地の美術館も秋には特別企画展を催します。2016年秋に開催された東京都美術館

の「モネ展」は実に70万人の来場者があり、近年の中では大好評の展覧会でありまし

た。世界的名画を直接、生で見ることができるのは、本当に一生に一度しかないかもし

れません。そんな思いで絵の前に立つと絵から湧き出るエネルギーを感じます。

画家のこの絵を描いた時の思い、感情がカンバスに凝縮されています。

時を忘れて、絵を鑑賞し、作家の思いに耽る。

やっぱり秋なのですね。